肺気胸で再入院しました…(爆死)
プライベート
人生二度目の入院…
3月14日、世間ではホワイトデーという幸せな雰囲気に包まれたそんな日に悲劇は起きた。
いつものように会社でのWEB制作の仕事を終えて、さぁ帰ろうと思って靴を履いた瞬間…なんか違和感…
まぁ大丈夫だなって思って会社の階段を降りて外へ
普段と変わらずトコトコ歩いていると、だんだん違和感が強く…(汗)
なんかもう胸苦しいんですけどーー!まさか、またかよ…!チクショぉぉ…!!
もうその時点で入院を覚悟した。
前回は渋谷で救急車を呼んで、目黒の病院に入院したのだが、銀座で救急車を呼んでよくわからない病院に行くのだけは勘弁だった。
というのも、前回入院した際に、次もしも気胸になったらここへ行こうって決めていた病院があったのだ。
それは気胸の治療で日本一を謳う日産厚生会玉川病院(以下、玉川病院)という病院である。
もうそこへ行くことしか頭になかったので、めちゃくちゃ苦しい中、電車に乗って地元の駅へ向かった。
超満員電車だし、息はほとんどできないし、ほんと死にそうな状態でなんとか駅に到着した。
玉川病院は地元の駅から車で10分〜15分くらいの距離だったので、救急車を呼んで連れて行ってもらおうと考えていた。
駅から119番をプッシュ…はぁはぁ言いながら救急車を要請したのだった。
5分程度で救急車は到着し、色々身体の状態など伝えて玉川病院に行きたいということを伝えた。
最初、救急隊の人は玉川病院は隣の都道府県だからウンタラカンタラって言っていたのだが、どうしてもそこが良い!そこじゃないと俺は死んでしまう!と伝えると熱意に負けたのか、問い合わせてくれることになった。
一先ずホッとしていると、そこでまた悲劇が起こった。
救急隊員「玉川病院問い合わせたんですけど、気胸の先生もう帰ってしまって今日は対応できないみたいっす」
はい…?
まさかの誤算……そんなことがあるとは…
そして関東労災病院へ…
玉川病院に医師がいないということで、悩んだ末、このままだと命が危険なので一番近くで対応できる関東労災病院に運ばれることになった。
続く